ニュージャージー州ホーボケン生まれ。1881年ドイツのベルリンポリテクニック留学中に写真化学を学んで写真を撮り始めた。1890年アメリカに帰って写真製版の仕事を始めるとともに欧州の写真芸術を母国に導入した。1902年グループ・フォト・セセッション(Photo-Secession )を設立、1903年に機関誌「カメラ・ワーク」を発行するなどピクトリアリスムを広めたがその後ストレートフォトグラフィに転じ、後世の多くの写真家に大きな影響を与えた。
1905年にニューヨーク5番街291で通称291ギャラリーを開廊、写真のみならずヨーロッパの近代絵画を紹介し、その普及に努めた。
画家ジョージア・オキーフの夫としても知られる。
アートにはさまざまな独立した分野があるが、写真がほかのアートにはない写真だけの表現の可能性を獲得しない限り、それは単なる手段に過ぎず、アートとはなりえないだろう。しかし仮に写真がアートだとすると、それらの可能性のうえには全面的に信頼が築かれなければならない。そうすればそれらの可能性は完全なる結果を生み出すことになるかもしれない。
私の理想は一枚のネガから無数のプリントを生み出す能力を身につけることだ。制作したプリントはすべて生き生きとしていて、しかしながら見分けがつかぬほど均一なこと。そして、それらのプリントが人気雑誌や新聞を買うほどの値段で世の中に広まればいいと思っている。その能力を獲得するためには、自分が選んだ道以外の選択肢はなかった。
写真のなかのリアリティはあまりにかすかなため、現実以上にリアルになる。
私は画家ではないし、アーティストでもない。従って私はストレートに見ることができる。そしてそれが私の破滅の原因かもしれない。
光があるところならどこでも、写真にすることができる。
写真に関係していることでもっとも一般的に知られている誤りについて、ここで注意を促しておこう。その誤りとは、優れた作品はプロフェッショナルだと見なし、アマチュアという言葉を未熟な作品を言い表すのに使ったり、出来の悪い写真の言い訳に使ったりする傾向である。実際には、ほとんど全ての素晴らしい作品は、写真に対する愛をもって撮影する人々から生み出されるものであり、単に財政的な理由から撮る人間からは生まれない。その名の通り、アマチュアとは好きだからそれを行う人のことだ。そう考えてみると、先述のプロとアマチュアの分類は明らかに誤りであることがわかる。
私はホーボーケンで生まれた。私はアメリカ人だ。写真は私の情熱である。私は真実を探求することに取りつかれている。
Alfred Stieglitz: The Key Set - Volume I & II: The Alfred Stieglitz Collection of Photographs
豪華な箱入り2巻セットの写真集。スティーグリッツの作品を最も多く所蔵しているナショナル・ギャラリー・オブ・アートのコレクションで、ジョージア・オキーフから寄贈されたものです。スティーグリッツ研究の決定版です。
Camera Work: The Complete Photographs 1903 - 1917 (25th Anniversary Special Edtn)
スティーグリッツが創設した団体フォト・セセッションの機関誌「カメラ・ワーク」から厳選された記事、写真が掲載されています。彼の考え方、当時の写真事情を知るうえで役に立つ一冊。
ジョージア・オキーフとアルフレッド・スティーグリッツ (岩波アート・ライブラリー)
風景、花、動物の骨などを中心にすえた幻想的な作風で注目される20世紀アメリカを代表する画家ジョージア・オキーフと、その才能を見出し人生の伴侶となった「近代写真の父」アルフレッド・スティーグリッツ。互いに触発しあい、創造的な幸福感を分かちあった2人の歩みを、主要作品とともにつぶさに描き出す。