ベレニス・アボット
ベレニス・アボット(Berenice Abbott、1898年7月17日 - 1991年12月9日)は、アメリカ合衆国の女性写真家。オハイオ州スプリングフィールドに生まれ、メイン州モンソンにて死去した。
1920年代に渡欧し当初は彫刻を学んでいたが、マン・レイのスタジオに入り写真をはじめた。その後、1920年代末にはニューヨークに戻り、1939年まで連邦美術計画「変わりゆくニューヨーク」に写真家として参画。このプロジェクトに際して撮影されたものを含め、1930年代を中心としたマンハッタンの写真(都市を記録した写真)が有名で、変貌していくニューヨークを何の技巧的脚色も加えずに淡々と撮影したストレートフォトグラフィである。
1925年に、フランスの写真家、ウジェーヌ・アジェと出会った。アジェが死ぬと間もなく彼の作品をまとめて手に入れ、散逸から救い、最終的にはニューヨーク近代美術館に購入させることに成功した。
1920年代に渡欧し当初は彫刻を学んでいたが、マン・レイのスタジオに入り写真をはじめた。その後、1920年代末にはニューヨークに戻り、1939年まで連邦美術計画「変わりゆくニューヨーク」に写真家として参画。このプロジェクトに際して撮影されたものを含め、1930年代を中心としたマンハッタンの写真(都市を記録した写真)が有名で、変貌していくニューヨークを何の技巧的脚色も加えずに淡々と撮影したストレートフォトグラフィである。
1925年に、フランスの写真家、ウジェーヌ・アジェと出会った。アジェが死ぬと間もなく彼の作品をまとめて手に入れ、散逸から救い、最終的にはニューヨーク近代美術館に購入させることに成功した。
ベレニス・アボットの名言集
私は写真家になろうと決心したわけではないのです、たまたまそうなっただけ。
写真は見る眼を養う。
私にとって最初の挑戦は、ポートレートであれストリート写真であれ、または弾んでいるボールであれ、物事をありのままに見るということでした。要するに、客観的であろうとしたのです。それは機械のような客観性ではありません、独自の選択眼という神秘的な、感覚を持った人間としての客観性です。次の挑戦は、眼にしたも物事に順序を負わせ、視覚的な文脈と知性的な骨組みを与えることでした。私にとって、それこそが写真というアートです。
すべての優れた写真は記録としての特性をもつという点に異論はないが、すべての記録的写真が優れた写真であるとは限らない。さらに、優れた写真家はただ単に記録を残すだけではない。テーマを突っ込んで探り、「裸にする」のである。
この時代のまさに生きている世界を再現する方法として写真以上にクリエイティブな媒体はないと思う。写真はこうした挑戦を喜んで受け入れてくれる。なぜなら写真は我々が挑戦する要素に精通しているから。すなわちリアリズム? リアル・ライフ? そう、「今」に。
自分の感情を表現することが必要だという人もいるけれど、私はそういうのはうんざりです。写真は感情表現を学ぶものではありません、「見ること」を教えてくれるのです。
写真集
Berenice Abbott: Changing New York
アボットの作品群のなかでも人気のあるニューヨークを撮影した写真集の決定版。1930年代のニューヨークがいきいきと描写されています。ウジェーヌ・アジェに大きな影響を受けたというアボットが、ニューヨークをどのように切り取ったのか、非常に興味深い写真集です。
New York in the Thirties (New York City)
およそ100枚に及ぶ30年代ニューヨークの写真たち;建設中のロックフェラーセンタービル、橋の上からのドラマチックな眺め、ワシントンスクエア、路地には洗濯物を並べた古い住居……。
New York Changing: Revisiting Berenice Abbott's New York
1935年、アボットはニューヨークを取材する5年計画のプロジェクトを開始し、19世紀風の都会から摩天楼がそびえ立つメトロポリタンへと変貌してゆく様を記録しました。それから60年後、ニューヨーク在住の写真家ダグラス・ルヴィアがアボットの足跡を訪ね、厳格なまでに細部までこだわって撮影しました。ここに紹介されている写真は、アボットの撮影を同じ日付、同時刻、しかも同じタイプのカメラを使って撮影されたものなのです。
Berenice Abbott, Photographer: An Independent Vision
ノンフィクション作家ジョージ ・サリヴァンによる、アボットの人生と作品に迫る年代記。と同時にそれは20世紀前半のニューヨークにおけるアート・シーンのドキュメンタリーにもなっています。