エドワード・スタイケン
エドワード・スタイケン(Edward Steichen, 1879年3月27日 - 1973年3月25日)は、アメリカ合衆国の写真家。ルクセンブルクに生まれ、のちアメリカに移住。
1902年には、アルフレッド・スティーグリッツらとともに、フォト・セセッションを結成し、ピクトリアリスム作品で名を成す。
その後、ファッション写真を多く撮影するようになる。主として「ヴォーグ」で活躍し、ファッション写真の黎明期を代表する写真家となる。あわせて、ポートレートの分野においても有名。
単なる写真家としての活動にとどまらず、1947年にはニューヨーク近代美術館のディレクター(写真部門)に就任。後世まで大きな影響を与える写真展「ファミリー・オブ・マン」展を企画・開催する(1955年)ことなどにより、写真の普及にも尽力・貢献した。
1902年には、アルフレッド・スティーグリッツらとともに、フォト・セセッションを結成し、ピクトリアリスム作品で名を成す。
その後、ファッション写真を多く撮影するようになる。主として「ヴォーグ」で活躍し、ファッション写真の黎明期を代表する写真家となる。あわせて、ポートレートの分野においても有名。
単なる写真家としての活動にとどまらず、1947年にはニューヨーク近代美術館のディレクター(写真部門)に就任。後世まで大きな影響を与える写真展「ファミリー・オブ・マン」展を企画・開催する(1955年)ことなどにより、写真の普及にも尽力・貢献した。
エドワード・スタイケンの名言集
物事を見ることを本当に始めるならば、それらを感じられるようになるのだ。
もちろん私だって知っていました、樹木や植物には根、茎、樹皮、枝、葉があり、光に向かって成長するということを。しかし、本当の魔術師は、実は光のほうだということが分かってきたのです。
そもそもの始まりからして、撮影時には露光時間をコントロールして調節し、暗室ではディテール、フラットネス、コントラストを調整するために現像液が調合される。いわば改ざんが行われているのです。実際、すべての写真は最初から最後までまやかしです。純粋に人間の感情を介さず、手を加えられていない写真というものは事実上不可能です。結局、それは完全に「程度」や「能力」という問題のままなのです。
「アートメディア」という言葉の用法は、どう控えめに言っても、誤解を与えるものです。というのは、芸術作品を創造するのはアーティストであり、媒体ではないからです。アイデア、思考、経験、洞察、そして理解を蒸留させていくことによって外観に内容を与えるのは写真家なのです。
ポートレート写真はカメラの「中」で作られるものではない。カメラの前と後ろの「両側」で作られるのだ。
写真集
Edward Steichen: Lives in Photography
ピクトリアリスム時代を経てファッション写真家、そしてMoMA写真部門のディレクターと、スタイケンのキャリアを彼の作品で辿ります。印刷も美しく、おすすめ。
Edward Steichen: The Early Years
1890年代後半から第一次世界大戦までの初期の作品が収められた写真集。10代で写真をはじめ、23歳にはすでにスティーグリッツに賞賛される風景写真を撮影していたという早熟の天才の若き日の写真。
Edward Steichen In High Fashion: The Conde Nast Years, 1923-1937
「ヴォーグ」「ヴァニティ・フェア」などファッション誌時代の写真が集められた一冊。ゲーリー・クーパー、グレタ・ガルボなどのポートレートも見ることができる。印刷の素晴らしさが群を抜いているおすすめの本です。